もしあなたが、人生に迷っていたり、自分がこれからどう生きていきたいのかわからないと不安を抱えているなら、ぜひこの本を読んでほしい。
古典なんて、学んだって役に立たないと思っている人が多いと思うのですが、それは本当にもったいないです。この本を読めば、古典は人生の役に立つものだということがわかるのと、どんどん古典を読んでみたい!という気持ちになると思います。
私は、「古事記」「中庸」をしっかり学んでみたいと思いました。
学校で教わったことや、世間の常識とされていることを、何の疑いもなく受け入れていると、とんでもない勘違いをすることがあるんですね。人生はずっと勉強なんだなと、この本を読んで改めて思いました。
この「学びの基本」シリーズは読みやすいのに、奥が深い良書です。ぜひ手に取ってほしい。
紙の厚さとか、字の大きさも絶妙なんですよ。大きくて読みやすい。
薄いからすぐに読めるのですが、何度でも繰り返して読みたい本です。
この感動を誰かにわかってほしい!!
今、古典を読む意味
大昔に書かれた書物を読んで、どんな意味があるのか?
それが今の仕事に役立つのか、人生に役立つのか。答えは「役立つ」です。
人間というのは、何千年経っても、基本的な部分は変わっていないと思うのです。
未熟で、わがままで、怠惰で、この人すごいな!っていう人は、そうそういないです。
だからこそ、人生について、何千年も前から、あれこれと考えられてきているのではないかと思いませんか?
みんなが道に迷って、どう生きるべきなのかと自分を見失って困っているから、「こうするといいんじゃないか?」って考えて、書物として残してくれた人がいるのではないかと思うのです。
確かに、古典を学んだからといって、すぐに成績がアップするとか、いい仕事が見つかるとか、そういう即効性のある何かが得られるわけではないのですが、困った時に助け舟を出してくれるもの、それが古典です。
「転ばぬ先の杖の杖よりも、転んだ後の絆創膏」
と、著者もいっています。
人生で、様々な問題にぶつかり、途方にくれた時、古典を読んでいる人は、先人が解決のヒントをくれる。そのヒントによって、新たなアイデアが生まれてくるんです。
古典て、こんなにすごいものだったんだと。
高校生の頃、古典の先生が嫌いで、授業が全く面白くなくて、かなりサボりました。授業に出ても、全く聞いていなかったし。
その頃には、古典の素晴らしさはわからなかったと思うけれど、しっかり勉強さえしていれば、その後の人生で古典の知恵を活かせたのではないかなと、少しもったいない気持ちです。
しかし、今私は、古典の素晴らしさを知りました。ですから、これからどんどん学んでいこうと思っています。
こんなに勘違いをしていた!ということがわかって楽しい
「論語」に出てくる有名な一節、この部分を知っている人は多いと思います。
”子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。」
この、「四十にして惑わず」、不惑といいますよね。
40歳になったら迷わない、もっと達観せよということかと思っていました。
私は40歳を過ぎても迷ってばかりで、一向に大人にならんなあと思っていましたが、それが違ったのです。
というのも、孔子の時代には、「惑う」という字がなかった、ということは、「惑う」という意味で言ったのではない可能性が高く、ではどういう意味かというと、元の漢字は「或」という字ではないか、というのです。
「或」という漢字は、「わく」という音があるので、「惑」と同じ読みなのですが、意味は違い、「区切る」という意味を持つ漢字です。
ということは、孔子は「40歳で迷わない」と言っているのではなくて、「40歳になったらあれこれと自分を区切らない=いろいろなことにチャレンジする」という意味のことを言ったのではないか、と。
そうすると、「五十にして天命を知る」の意味がすんなりわかる。
やらなかったことにもどんどん手を出して、行動してみることによってわかることって、たくさんありますよね。色々と経験を積んできた40代だからこそ、自分に区切りをつけないということが大事なんだと、孔子は説いているのだそうです。
私は、「四十にして惑わず」ではなかったのかと、この部分を読んだだけでも、この本を読んで良かったと思いました。いくつになっても、新しい発見があると楽しいものですよね。
次は「中庸」を読んでみたい!
「中庸」は、「大学」「論語」「孟子」と合わせて、『四書』と呼ばれている、儒教の経典です。
儒教なんて、普段の暮らしとは関係ないし、学ぶ必要もないと思っている人がほとんどだと思うのですが、これは読んだ方がいいです。
私は、ほどほどとか、極端でないことという意味だと思っていました。
え、これも違うのか…。
「中庸」とは、いつもぴったりでいること、という意味なんだとか。常に、ぴったりの行動を取れること。
しかし、凡人には無理です。だからこそ、どうすればいいのかということを、書物を読んで学ぶわけですね。
奥が深いよ、中庸…。
また、中庸の中には「誠」についても書かれています。「誠」というと、誠実とか、誠意とか、なんだか曖昧な概念ですが、それのどれも違う。
「誠」とは、「成るべきものを成るべきように成させる力」なのだそうです。うん、難しくてよくわからない。
その人の持っている美点を完成させること、それが「誠」の力。私たちは、一人一人持っている素質が違います。
その素質をどう活かしてくか、それがわからないから人生に迷うのですが、誠に達するための方法が「中庸」には書いてあるのです。
それが、
- 博学:知の空白を埋めること
- 審問:詳細な問いを立てること
- 慎思(しんし):じっくり考える
- 明弁:答えを分けていく
- 篤行(とっこう):丁寧に行う
この5つです。この考え方で行動していくことによって、「誠」に到達する。
四書の中でも「中庸」は非常に難しい書とされているのですが、これだけ具体的に書いてあるなら、むしろ非常に実践的なのではないでしょうか。
非常に地道な作業ですが、自分の天命を知るためには、欠かせないことのように思います。
書店、図書館に行こう
自分の天命、自分の特性をがわからないという人は多いと思います。
何をしたら良いのかわからない、自分に向いていることが何かわからないと、30代、40代になっても迷っている大人はたくさんいるのではないでしょうか。
私もそうでした。40歳を過ぎて初めての転職をしたのですが、すごく迷っていました。これからの人生をどう生きていこうかと。
でも、あれこれと行動した結果、今は好きな仕事につけています。あの時、迷いながらも行動したことは間違いではなかったのだと思います。
本書では、「迷っている人は書店に行こう」と言っています。
書店に行って、興味のない棚をなくしてみてはどうかと。普段はいかないコーナーに行ってみて、試しに1冊買って読んでみる。
自分の興味を区切らないことが大事だから、いろいろな世界に接してみることが、自分の特性を知ることにつながるだろうと。確かにそうだと思います。
人が普段生活している中で経験できることは限られていますが、本を読めば違う世界のことを知ることができます。
そうすることで、新たな自分を発見できるかもしれない。どのくらいかかるかわかりませんが、少なくとも今の生活を続けているよりは、自分の世界を広げていけるのではないかと思います。
ああ、もっと勉強する時間が欲しい。本を読む時間が欲しい。
「役に立つ古典」は、そんな風に思える本です。