平安時代には、女性の書く文学がたくさん出てきましたが、この本を読んで改めて知ったこと、それは「当時の女性の本名が残っていない」ということでした。
清少納言や紫式部が「名前」でなかったことは知っていましたけど、こんなに一千年も残るような文学を残した人たちでも、本名がわからない。
中宮定子や彰子のように、天皇の奥様になるくらい、地位が高くないと名前が残らないんだ・・・と、ちょっと切なくなりました。
このエッセイには、5人の女性が出てきます。
- 清少納言:枕草子
- 紫式部:源氏物語、紫式部日記
- 藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは):蜻蛉日記
- 菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ):更級日記
- 和泉式部:和泉式部日記
清少納言などは官職に由来した名前がついているものの、藤原道綱母に至っては「道綱くんのお母さん」ですから・・・。
一千年も前から、女性の立場ってあんまり変わっていないのかしらと思ってしまいましたが、そんな中でも、これだけの人たちが書いた文学が、今読めるということの奇跡。日本も捨てたものではないですね。
私は、紫式部より、清少納言の方が好きなのですが、それは先にこの本を読んでいたからかもしれない。
清少納言がいかに「面白い人」なのかということを解説した本ですが、その流れでこの作品を読むと、これまた面白いです。
清少納言て、昔の人にありがちな女性の奥ゆかしさとか、控え目さってものがなくて、ものすごくあけすけに思うところを語ってしまっているのが、「そうそう、わかる〜〜!」となるわけです。
私ってすごく頭いいし、和歌とかも得意だし〜〜と普通に行ってしまう、そんな開けっぴろげな清少納言のことが、私は好きなのですが、同時代に生きていた紫式部はそうではなかったようです。
本当は「私って、すごく頭がいいのよ!教養があるのよ!」ってことを言いたい気持ちがあるのに、清少納言のようにはできない。そんなこと、はしたないと思っている。だから余計に、清少納言のことを「ムカつく!」と思ってしまうんですよね。
わかる〜〜。こういう人、いる。本当はもっと褒めてほしい、私のことを見て欲しいと思いつつ、それを表に出せなくて、あっけらかんとしている清少納言のような人に嫉妬してしまう。むしろ、こういう人の方が多いでしょうか、日本人は。
また、当時の日本は一夫一婦制ではないので、男性が本妻以外に女性を作るのは当たり前の時代です。
藤原道綱母は、夫の女性関係に悩むわけですが、自分も正妻ではないのですね。正妻からしたら、あんたこそ何言ってんの、という状態なのですが。
藤原道綱母の「蜻蛉日記」は、この本をきっかけに、角川ビギナーズクラシックで読みましたが、当時の貴族の生活が垣間見れたことと、千年経っても女性の悩みって変わらないんだなと思って面白かったです。
ここに書かれている女性たちは、皆、それほど位が高くはない人たちばかりで、だからこそ、正直に、赤裸々に、当時のことを書けたのではないかと作者の酒井さんはおっしゃっています。
確かに、天皇の奥さんが、赤裸々な日常とかは残せないでしょうが、それなりの教養がありつつも、上級貴族ではないからこそ、このような文学が生まれたというのは面白いなと思いました。
源氏物語みたいに、誰か私をさらってくれないかな〜と夢見がちな菅原孝標女や、やたらとモテる和泉式部など、それぞれに個性的で面白い。
まさか彼女たちも、自分たちの日常が、千年後もこんなに楽しく読まれているって、思いもしなかったでしょうね。
酒井さんの解説が面白すぎて、和泉式部日記や紫式部日記など、元の書をぜひ読んでみようと思いました。